きみ越しの世界

Princessやってます。

ピンクとグレー

2016年1月9日。中島裕翔の初出演初主演映画『ピンクとグレー』が公開された。
諸事情で初日は観に行くことができなかったが、11日には観に行くことができた。そんな前に観ておきながらこんな時期まで文字に起こさなかったのは、やはりピングレの良さを潰すようなネタバレはしてはいけないと思ったからだ。

幼いころからいつも3人だった。ごっち、りばちゃん、さりー。ごっちが俳優として階段を駆け上る中、親友のりばちゃんはごっちを意識するばかりに何事もうまくいかずに苛立つ。何も努力せずに運とセンスで芸能界のトップに立つように見える親友に羨望や妬み、単純にすごいとも思う。様々な思いの末に仲違いをするが、同窓会を機にまるで昔のように意気投合。今夜も飲もうと別れ、約束通りごっちの家に行くとそこには変わり果てたごっちが…
青春映画だ。幼馴染として友情や恋、夢、挫折など描かれる3人の関係は脆く美しい。りばちゃんに感情移入しながら進む前半は羨ましいほど爽やかな青春映画だ。

カットがかかると、そこにはりばちゃんしかいない。ごっちの死後、りばちゃんはごっちの生涯を本にした。そしてその本は大ヒット、りばちゃんは一躍時の人となる。ごっちのことを話してほしいとテレビや雑誌のオファーが殺到しりばちゃんが書いたごっちの本は映画化する。その主演を演じていたのがごっちだった。
有名になりたかった。ごっちの言う通り「代わって」もらうと、その立場はあまりにもりばちゃんに合わないものだった。どこに行ってもごっちの話を求められ、映画の出演者たちに翻弄され、親友「ごっち」はどんな人物だったのかさえわからなくなる。
死のう、とごっちと同じように首をつろうとするが、死に直面すると死にたくないと思うりばちゃんがいた。
「しょーもな!」ごっちからもらったライターをごっちのポスターに向けて投げるりばちゃんはそう叫んだ。
親友「ごっち」のことは何でもわかっているつもりだったりばちゃん。ずっと一緒だった親友は自分と同じだと、投影してしまうりばちゃん。
類は友を呼ぶ という言葉があるが、同じような能力で集まることは多いのかもしれない。それは一緒にいて安心するからなのかもしれないと思った。同じように時を過ごす友達が同じようなテストの点数だと安心する。「ちょっとテスト期間に遊びすぎたしこんなもんだよね」って。それが突然トップスター。しかも自分は売れない俳優どころかエキストラ。りばちゃんは不憫でならないが、多くの人が共感するのはごっちではなくりばちゃんだろう。「いいな。すごいな。ずるいな。」思うばかりで努力はしない。がんばるのは、ガムシャラになるのは、どこかかっこ悪い。
ごっちは「やらないなんてない」と何でも頑張って挑戦する。
りばちゃんは流されてやってみるけれど、上手くいかないならやらない。
ごっちは死を選んだけれど、りばちゃんは生を選んだ。
どんなに一緒にいたって人は誰かになることはできない。「俺は何者だ?」劇中でごっちが言うセリフだ。「俺は俺」。相手を理解しているつもりになっても、実際100%理解することはできない。
りばちゃんはごっちをわかったつもりになって、ごっちになりたがって、自分を見失ってたのだと思う。りばちゃんはりばちゃんなのに。


前半でりばちゃん演じるごっちを、後半でりばちゃんを演じたのは中島裕翔くんだ。彼にも同じような経験があり、何度だって言うがこの役はまるで山田と中島のようだ、と言われた。
エリートJr.だった裕翔くんがデビューしてからセンターを外され仕事も激減するという話は多くのジャニーズファンが言ってきたことだし、最近は本人さえも言っている。
センターにこだわっていた中島裕翔くんが、グループの中に自分の居場所を見つけ、自分らしくグループにいる方法を見つけた。その様はまるでピンクとグレー。本人も共感しやすかったと言うように、演じながら感じることもたくさんあったのだろうと思う。

「しょーもな!」
私は私だ。どんなにがんばっても顔はこのままだし、体型だってそう変わらない。性格も、能力も。他の人と比べればいくらでも欠点はある。それでも私は私として生きていく。
当たり前だけれど、それが個性であって他と比べるなんて「しょーもな!」いことなのだと。勇気をもらった。

日劇中にも登場した渋谷、宮下公園や歩道橋の近くにあるヒューマントラストシネマ渋谷で最後の『ピンクとグレー』鑑賞してきた。改めて素敵な作品で裕翔くんが映画デビューしてくれて本当によかった。