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きみ越しの世界

ジャニヲタやってます。

この支配からの卒業

昨日、四年間の大学生活に終止符が打たれた。卒業したのだ。四年間、私が1番懸命に取り組んだのはジャニオタとしての活動だったのではないかと思う。しかし、それだけではなく、たくさんの経験をキャンパスで、友と共に、してきたのだと思う。

学友の話

大学というのは比較的自由に時間割を組んで、1人颯爽とキャンパスを歩いて…とイメージしていた。私が通っていた高校は大学に近く、自分の進路に合わせて授業を受けて単位を取って行くというものだった(大学のように空きコマはなかったが)。そのイメージを強く抱いた私は、大学に入って驚いた。私の大学ではクラス単位での授業がほとんどだったのだ。

女子大ということもあり、打ち解けるのは早かった。クラスの子は全員連絡先を交換したし、話しかければ答えてくれる。女子校のギスギスとかいじめとか嘘なのかなぁ、なんて思った。でもそれはうちのクラスだけだったらしい。
少し目を外に向ければ、他のコースはそんなことない、他の学部はそんなことない。という声が聞こえ、「ああこのクラスで平和に四年間を過ごせてよかったなぁ。」と思うのだ。だがしかし、なぜ私のクラスではそんなことが起きなかったのか?

夢が集めた同士たち

小中学校では性格も、学力もなにもかもバラバラな子どもたちが一つの教室で机を並べた。勉強が苦手な子に合わせて行われる授業は時に学力の高い者にとって退屈なものだったと思う。
高校になると学力が等しくなる。およそ同じレベルの生徒たちは話のレベルも同じであり、それなりに楽しめるのではないだろうか。
そして大学に入って、私は明確な夢を目標に学部学科コースを決めた。そこに集まった学友たちは、皆同じ夢を目標にしていた。いろいろな意味で同じような人が集まっていた。温厚で思いやりがあって、責任感がある。夢の実現のために必要不可欠であるし、そういう気持ちがないとそもそも目指さない職業だ。そのため、とても穏やかに四年間を過ごせたのだと考えた。

本当に仲が良いのか?

それは定かではない。仲が良い人は良いし、そうでない人はそうでない。それでも、仲間外れにすることはないし、話したくない人がいるわけでもない。特別仲が良い人とグループを作るのは女子の習性である。それは私のクラスでも同じ。先程から学友という表現を使っている。友達については 卒論に書いたほど、私の生きる上でのテーマになっている。どういう関係なら友達なの?卒論を書き上げた今でさえ、それははっきりと答えることはできない。
ただ、いつも一緒にいる仲良しグループが友達であるのなら、同じクラスの子は学友、級友でしかない。かつて同じ教室で机を並べた人でしかないのだろう。

程よい距離感

揉め事が少なかったクラス、大きな亀裂が入らなかったクラス。そんな過ごしやすいクラスではあったが、全くもって平和だったとは言い難い。それなりにケンカや陰口もあったと思う。
主なケンカは仲良しグループの中で起こる。それは当事者たちのことなので周りは触れない。そのうちどうにかなる。
陰口は女子だから仕方ない。喋るのが仕事の女子たちが口を開けば文句は出てくる。でも、それは先程も言ったが皆の人間性上、この時のこの子のこういう態度は良くなかった。というかなり具体的なものだった。なんとなくむかつくとか、調子乗ってるとかはなくて、皆こんな風にしてるのにあの子だけ特別なのは変だよねとか。皆なんて性格がいいのだろうか!と思った。四年生にもなると「なるべく悪口にならないように留めたいんだけど…」なんて枕詞までつく。人間として出来上がってきているのだろう。

このクラスでよかったと思える大きな利点。それは程よい距離感だった。仲は良いがパーソナルな部分に必要以上に踏み込まない。ありがたかった。何でも誰にでも素直な自分を見せられる人もいるが、私は違う。まだまだ隠し事もあるし、この先教えるつもりもない。それでも受け容れて楽しい時間を過ごせた。これは周りの人間性のおかげだ。

旅立ち

夢を実現した今、学友の表情は凛としていて入学した時のあどけない、大学デビューいぇーい!という顔はない。保護者でもなんでもない、言うなれば同じく凛とした表情をしている側の私が言うのもおかしいが、私たちはこれから社会人になり、社会の荒波に揉まれるべく船出するのだ。

タイトルにこの支配からの卒業とした。大学は女子校だからか、とても規則が厳しかった礼儀を重んじていた。週に一度以上スーツで受ける授業や行事があった。挨拶をしないと叱られた。堅苦しいと思う日々だったが、私は特に不便を感じなかった。ある意味、支配だったのかもしれない。でも、ここぞと言う時は正装。挨拶は基本。当たり前のことだ。それを強制しないとできない学生に問題があるのかもしれない。そう思うのは、四年間で毒されてしまっただけなような気もする。しかし、支配してもらえなくなったら、私は自分で考えなければならない。支配からの卒業で自由になるが、その自由は秩序の上に成り立つ。支配からの卒業に喜びを感じつつ、少しの不安を隠し、私は昨日大学を卒業した。